2009年9月

   この季節、森から里に下りるクマがいて、かたや森では俄か通いのヒトが
多くなる。立ち位置を変えてみれば、生きる事に一生懸命なクマの気持ちが良くわかる!
   「俺にとって森が快適なように、クマにとっちゃ人里は蜜の巣なのだ」
今や森の恵みが豊富であろうとなかろうとクマは人里に下りるのです。
ただ、里でクマが襲われりゃ親グマ屠殺!子グマは途方にくれ冬眠はおろか何の学習も出来ずに、2年目3年目親と同じ運命をたどる。 

   そこいくと人間はワル知恵と私欲の“寄らば斬るぞ”で何とも勇ましい。人間一人の偉大さは宇宙に立つ事じゃなく森の樹一本を愛する事なのだが。

   人は我利ガリの欲得だけで森に行っちゃいけない。
出来れば、森と山を荒廃せしめた先人(今人も?)の愚かさに懺悔し、森に生きる万物の鎮魂と精霊の気を覚えながら“巡礼の森通い”をしなきゃいけないのだから。(チンプンカンプン語録から)

ブナの沐浴
  
 森の実りはそれぞれが年を変えて順繰りに豊作を繰り返す。
それは動物達の生活に合わせ、密接につながっている森と動物との不変の約束事だった…。

   〇〇年、ブナの大豊作だった。水辺がブナの雄花で覆いつくされ、足の踏み場も無いほど大粒の実が森を占領した。翌年、実生の幼葉が束になって枯葉を押し上げ、いたるところで森の中がモコモコしていた。

    この年の七月、「森の不思議」に出会った!
さして大きくもない壮年のブナの木だった。目の前のその樹だけがびしょ
びしょに濡れていた。枝から梢から葉っぱから、ぼたぼたと雨だれのように水が滴り、幹は大雨の最中のように水が覆い伝っていた。

    「何処が雨なの?俺は濡れてない!」なんとその一本のブナの木だけが雨の中?にいたのだ。

   そう云えば、地中から吸い上げた大量の水でブナが大粒の汗をかくという。(ある樹齢を迎えたブナの木が一生に一度だけ見せるらしい!)
もしかしたらそんな森の「秘め事」に出会ってしまったのかも知れない。

俺の沐浴

   その年の10月、未明からの雨が上がり、朝から太陽が覗く爽やかな日だった。ブナ林を歩いていると何やら周りが騒々しい。時折カサカサッと目線の先で乾いた音を立て、葉っぱの表面で木洩れ日が跳ねていた。

   「…?」その軽やかな光の跳ね音が、得体を隠しながら俺に近づいてきた。
…肩にコツン、頭にコツン、…顔にコツン、身体中にパラパラッ…と。
ブナの実だった。なんとまあ、仕合せのブナシャワー!なのでした。

   ブナの実は五年に一度の豊作を繰り返すという…
そして二回に一度の大豊作を繰り返すのだという…