2010年 4月

   10年4月、「ブナの森を歩く」が満6年を迎えた。
森にある「仕合せの時間」は皆さんに届いたのだろうか…
いつも来てくれる人、そして懐かしい顔の仲間たちに心から感謝です!
この先何処まで行くのか? …今日、7年目の森通いが始まる。

   山野の木々を見上げれば、忘れずに巡り返す四季の営みを不思議に思う。
芽を付け花をつけ青葉を繁らせ、やがて枯れ落ち大地に還ることの当り前。
   毎年春になると芽を出す作業を何百年も続ける森の木々たち…
太陽と月を記憶しながら朽ち果てるまで律義に明快な答えを出し続ける。
「何も特別でない普遍の営みがどんなに美しいか」・・・そんなことを思う。
   人はヘタに頭を使うがばっかりに美しい物から遠ざかる。
文化というオブラートで包み、若干麻痺した頭で森から遠ざかるのです。

森の天井を見上げれば緑の葉っぱがいっぱい
あれは朽ちた木々の魂です 
やがて色をなくした葉っぱが大地に還るまで 森の気持ちが宿ります  

 森の生活 A
   春、森が背伸びする頃、冬眠から目覚める小さな生き物がいる。
根雪の下の落ち葉の中から這い出るそれは、雪融けの小さな水溜りを目指す。
命を繋ぐ旅の始まり、○○サンショウウオの産卵だ!
   いきなりですがこれがね、美しい、ホントウに美しい。
水中の枯れ枝に真っ白い卵を産み付けるのだが、雪融けの清水に輝く愛の結晶は巷で浮かれる桜の満開よりも遥かに神々しく美しい。
   一枝に百個ほどにも増える卵の一つ一つに数十の小さな命が宿る。
この時期、山中あちこちの凹地にこの“森の真珠”が輝く。

   時を同じくして、冬眠から覚める大きな動物がいる。クマさんです。
水辺の楽園によく現れてはのんびり水芭蕉をかじっている!
ひと冬に溜め込んだ老廃物を排泄するための儀式みたいなもんですね。
   アソコには森の番人にして界隈の主、大きな大きなオヤジが棲んでいる。
居たからって奇声を上げぬこと、そっと立ち去るのが一番いい。
で、運よく目が合っちゃったら、騒がず慌てず穏やかに挨拶しましよう!
お互い同じ動物だから穏やかに話しかけるといい関係ができて楽しくなる。

   …前回、木立の中に消えていった親グマ…の顛末
とっさにカメラを手に「オーイ、写真!写真」なんて声を掛けても時遅し。
   ところが体勢整わぬ数分後、消えた先から現れましたね〜!
さっきの一目散がウソのように、悠然とクマらしく堂々と目の前に現れた。
呆気でしたね〜!しかもオレを完全に無視しているよう。(意識はこっち・笑)
   森のクマさんは正直です!「さっきの事はくれぐれも内密に・・・」
と唱えながらオレの目線を外し、精いっぱいゆっくりと行進していった。
動転してしまった自分を繕うように…なんて野暮は言いませんよ、クマさん。
   ところで、気付かず寝てたら“添い寝”なんてことは…ないやねっ!?