2010年10月

   森にはまだまだ誰も知らない不思議がいっぱいあります。
   木々のこと、草花のこと、生き物のこと、土のこと、水のこと、空気のこと…。
なおさら、季節のこと、お天気のこと、昨日今日明日のことなど絡み合ったら
“不思議”が年がら年中続いたってちっとも不思議じゃないのです。

   現生のブナは2百万年ものあいだ種を繋いでいるらしい!…そんななが〜い時間のことを思えば、オレが見るちっちゃい時間の中の不思議なんてのはごくごく日常の事なのかも知れない。
   それでもこのささやかなことに“身の丈いっぱいの想像力”で向き合うと森は身体を揺らして歓んでくれる。森を愉しむ人にはちゃんと微笑み返してくれるんだからうれしいやね。
   森に生かされてオレがいるってことの愉快!森と同じくオレも生きているって
ことの愉快!?

   紫色の仕合せ   
   桂の落ち葉が林床を埋め尽くし楓の黄葉だけが残る秋の終わり。
雨上がりの夕刻にそれは始まった。

   カツラの大樹が林立する前方20メートル先。濡れた表層をかすめるように
一筋の靄が右手の林の奥から流れてきた。
    その色は…ムラサキ。いつもの歩き慣れた林床に、濃く艶やかなムラサキ色の靄が地を這い右から左へゆっくりと流れた。
   …それは50メートルほどの帯を曳いた先で滞留し、辺りの湿った空気を包み込みながら徐々に色を隠し、気配の中に消えていった。

   夕暮れ時の、それはそれは静かな静かな光景なのでした。
空の明かりがなくなるまでじっと“ムラサキ”を見ていたのです…。
ビックリ、とか感動なんてものを超えると笑う他ないんですね!!

   ここ伏流地帯は、現れては消える気配の溜まり場です。
ときに、森の精が濃密に漂い生気が一帯をかっ歩する共棲の森です。

        
   「山」といえば登山。「森」といえば…ウ〜ンよく分かりません。
森林浴とか癒しとか…行楽の延長線上にちょこんと乗っかってるぐらいなんで
しょうか。だいたい冬山、夏山なんてのはありますが、冬森、夏森なんてのは
…なにそれ??…そこで山登りの皆さん。もっと「森」へ行きましょう。

   山登りの感動は広く皆さんが納得するところ、分かりやすいものだから誰が
喋っても同じ。なので、こっちが辟易していると数と高さと時間の羅列が続く。
羨むばかりの体力崇拝!「すごい凄い」。

   そこいくと森には眺めがあるわけじゃなし「百名森」があるわけでもない。
誰かに伝えようにも名前が無い!「ホラ、あそこのあの辺」なのだ。しかしこれが堪らなくいい、体力半分感性半分、急がず慌てずそんじょそこらの森で時間をむさぼる。これがね身体に心に一番いい。

   だから、今人に足りないものは「森の時間」と…「長靴」!? 山は登山靴が、森は長靴が似合う。オレは昔からどっちも長靴だけど、最近の長靴は機能的にして長持ち、かつ洒落たものが多いから若い人にもカッコいい!で、お支度の次は現場に赴くのみ。

    森 の 原石    
   初めて森の中を歩く機会にめぐり合えた人は、森にとって原石みたいなものです。一度のめぐり合いで終わった人は原石のままなのですが、ちょっとでも
気分の高揚を見た人はまた森を歩く。そんな人は歩くたんびにキラキラ輝やいてくるのです。森がほっとかないのですよ!
   次から次と森の仕合せが向こうからやって来る。そんな森にアンタが喜び、
そんなアンタに森が喜ぶのだ。輝かないわけがない!

   いま巷にあふれるものにリアルなものが何も無い。あるのは幻想を如何にリアルに見せるか…という本末転倒のリセット社会です。
   そこいくと、森を歩きゃ目からうろこ!ウソが無い、本物しかない、急かすものもない。…森には人が作り出したものが何も無いのです。
だから佇まいがとっても優しい。

   森の中の一つ一つに、生きる意味があり朽ちる意味があります。
存在することが意味だなんて思うと森が愉しくなる。森で頂くエネルギーも、
たかだかの愛も仕合せも、森を歩いてみりゃそこら中に転がっているのです。
せっかくのあんた、キラキラもせず何の一生かや!