2011年4月

  この段だらの坂を上ればブナ林だ。
途中の斜面にはセリバオーレン、キクザキイチゲ、イワウチワ、カタクリ・・・などが日を変えて足元を彩る。
  この森に・・・今年も春が来た。

    
  ここにはニホンカモシカ、ツキノワグマの大型動物がいる。言われて気づくぐらい何時も無頓着なのだが「もしクマに出会ったら」なんて改めて思うと、恐いながらも少しうれしくなるのです。(森では人に会うよりもクマに出会うほうが何倍も気分がいい、ホント!)

  段だらの坂上から右手に森を漕ぐと三百年ブナがいっぱいある。立ち枯れて悠々しいブナあり、朽ちくちて苔と茸に身を委ねるブナあり、寿命を超えて半枯れで起つツワモノのブナあり、クマ棚に取られたトラ刈りのブナあり、蔓に負ケジと踏ん張るブナあり・・・。

  この森にはツルアジサイ、イワガラミ、ヤマブドウ、ツタウルシ・・・など樹と共に天井を目指す植物が割拠する。(森を歩くと蔓の命を断つ人がいる。樹が弱るとか可哀そうとか・・・人の都合は何時も半可で露骨で、あまり好かない。)

  寿命近い弱ったブナにはやがてサルノコシカケが木肌を割って出てくる。時を同じくしてキクイムシが巣食い、キツツキが脳震トウを起こさんばかりのドラミングで向かえる・・・。
  倒れて朽ち還る頃には苔と茸に身を任せて森化粧だ!その上には実生のブナが太陽を浴びて根を伸ばし、下にはカナブンやミミズが肥やしを生産しながら黙々と土に還している。
  毎年巡り返す若葉の頃には、その一葉一葉に朽ちた木々の想いが籠もるのだ。・・・産毛いっぱいの若葉はもうすぐ。

  ブナの森にひと際目立つ樹が見えてきた。幹を大きく広げたそれはまるで森の門番のように仁王立ちで頼もしい。このミズナラ、幹周り約4m、もうあまりドングリを落とすことは無い。けれど下枝に付く葉っぱはカシワのように大きく、樹形に似て存在感がある。(本山のブナ帯にはこんなミズナラがいっぱいだ。)

  このミズナラ、コナラ、クヌギなどの堅果はそれぞれ形を変えるがみんなドングリと呼ぶ。5cm〜10cm前後にぶら下がる黄色の雄花(雄花序)も似たような姿で、もうちょい先の春を彩る。

  この先の右手によく陽の差し込む場所がある。ヌシの大樹が倒れてポッカリ空いた空間だ。実生の幼木が陽に向かう。運よくここまで生き延び、そのまた何倍もの時をかけ幸運を手に入れたものだけが“主”になる。その頃には・・・当然オレはいないけど!

  周りにはクロモジ、ムシカリの低木からカエデなどが目立つ。それぞれ花を咲かすのも近い。今、シウリザクラが薄紅色の芽鱗をほころばせ赤みの葉っぱを見せている。残雪に散る鱗片が美しい。

  左に樹高約25m、ごつごつとコルク質の木肌のハリギリが起つ。同じ食用のタラノキに似た深山版だが、こんな高さまで新芽を採りに登る人はいない。で、人の背丈ほどの幼木で事を足す。
幹周り4mともなれば、黒々とゴツゴツしたその姿に驚くばかり。

  (新芽といえばコシアブラを退かすわけにはいかない。大樹一本に群がる大人の形相を見れば、余計な説明など無用!低山から1300m付近の亜高山帯まで自生域が広く、残雪深い本山中腹を越える好き者などはよく登山者と見紛うのだ。)

  このハリギリの隣に佇むウダイカンバ。今この花が雪面に一杯落ちているが、いわゆる花のような姿はない。ハンノキに似た雄花とちょっと短めの雌花を付ける。カンバの類いは油分を多く含むので山人は火種にその樹皮をいつも携行する(したらしい)。いまどき常に持ってるなんてのは多分オレぐらいか、きっと。

  まもなく行くと瘠せた斜面にシロヤシオ(まだまだツボミ)を見て中途の台地に下る。ここはいつも足を止める好きな場所だ。
  大きな一枚岩の尖んがりに立派なブナの木が鎮座している。深い苔に覆われた一枚岩に根っこを八方に張り廻らしただけのこのブナ、もう幾年を過ごしたのか。真っ直ぐ伸びたその雄姿は見た目以上に年を数えているに違いない。けっして多くない養分を取り込む一生懸命さがこの樹勢を保たせている。(オレにはない踏ん張る一途さを見るたび、ちょっと“気の力”をもらう・・・。)

  ある日の雨上がり。午後の陽射しが差す小寒い日、小枝の滴がキラキラ輝き裸木の森をまばゆいばかりの宝石箱に変えた。
  ・・・こんな仕合せの最中、一枚岩の頂にカモシカが現れた。ブナの隣にすっくと立ち現れた。背後の太陽がカモシカの輪郭を縁どり、体毛の滴が黄金色に煌めいた。・・・森歩きの美しい美しい1コマなのでした。           

以上、早春30分の森歩き。