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2011年8月
8月3日、皆さんの気持ちと協力のお陰で被災地石巻の子ども達を乗せてバスが走った。朝もやの森にやがて太陽が覗く、そんな日。
子ども達は遊びの天才だね!夢中になって遊ぶ顔がみんな輝やいていた。あらためて森の包容力ってすごいや!子ども達の無垢で瑞々しい感性が森にぴったり似合った。こうでなきゃー、森も歓んだね!
何かにめげそうな時があったら、この「おまじないの森」を思い出すといい、絶対元気がでるぞ!
ついでにオレの顔も思い出しゃ怖いもんなしだ… (笑
子ども達12人と保護者、スタッフを入れて23人の森行でした。素的な時間をくれたこの森に大感謝です。
(当初の予想に反しなかなか子ども達が集まらず、急きょ現地の避難所やら仮設住宅を回り「森の愛」を届けるべく奔走!方々でお世話頂いた皆さんには本当に感謝です。年中ほとんど森だけ向いているオレなので“森語”が通じるのかホントに不安なのでした。)
森の仲間たちはもちろん、ポストカードを求めて頂いた数多くの皆さん。そして彼の地のyさんhさんtさんyさんnさん…カンパと気持ちのシャワーをありがとう。
“なが〜い100円計画”字面の通り、この先も身の丈で続きます。
水 に 恋 慕
今年は7月上旬に梅雨が明けた。ゆえにあまり雨の森を歩く機会がなかった。破壊的局所豪雨は困るが、あたり前に季節を廻る雨は神代の昔から降ることに決まっているのに…。
目の前の森を歩くと全てのサイクルが水の循環の上に成り立って
いるのが分かる。少々おっくうでも雨の日に森を歩いてみよう。
「命あるものの生活が見え、歓びが見える」あんたの身体だって60%は水分なんだからきっと細胞が小躍りするに違いない!
森 語 り・3
ここ大樹の現場はヤマブドウのツルが空を隠さんばかりに繁っている。こんだけあると養分が回りきれないので、そろそろ自らの間引きが始まる。『然るべく朽ちゆく仕合せのツルあり、然るべく命を受け取る仕合せのツルあり』。
ちょい昔、…宗さんが仕合せのヤマブドウを房ごと頬張り、にこやかに巨樹に対峙して静かに手を合わせた…そんなイイ場所だ。
小道に戻る途中の湿地にヤマグワの古木がある。今年の実りは小粒で瘠せていた。(森に通ずる沿道のヤマグワも休み年)
「運のいい年に口を真っ黒にしたのはアンタだっけ?」
目の前に升沢の“ヨセミテ”が現れた。三景松島の小島を海底から見上げたらきっとこんな景観なのか!…太古に想いを馳せてしばしぼーっとしたいのだが、そんな暇なヤツはあまりいない。
ここの小道は約3キロにわたり断層の際にある。(結構な崩落を目の当たりにしているのだが看板一つない、逆説的に感心です。)
去る4月7日、強い余震で滑肌の中腹から大量の土砂が滑り落ちた。音も立てず静かに大地が動いた!下方の立ち木を折らずに埋めた土砂の上で小さな草木がそのまま移動していた…。
この先に半枯れて久しいブナの老木がある。去年の12月、雨風の強い日に目線の位置1,5mのところから折れた。苔に覆われた幹の中を覗けば芯はがらんどうで見事に土に還っていた。
隣り合わせたブナは幹を傷つけ、なお天井をめざした…が、叶わず2度目の嵐の日に倒れた。このブナ、何年か振りの花芽をいっぱい付けて冬を越し、春を越した。(倒れた時の花芽が幹に残った養分で花を咲かせ、いま結実までこぎつけた。)
一年を全うしたブナの枯れ葉は赤茶色になり落葉するのだが、生
木のまま養分を断たれた葉っぱはいつまでも赤茶色にならない!
息を止めた人の死と同じ色で、いつまでも枯れ枝にとどまる。
何かを満たさぬまま“生活”を絶つのは寂しいやね…!
オレの森に対する絶対的恋慕は、まやかしのないホントの営みに嫉妬するからだね…きっと。