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2011年12月
「何年かぶりに真っ当な冬を迎えている」そんな気がしている。11月の半ばに20センチの積雪を見て、以降低温気味の気象が山麓の森を白く染めている。
ここ数年に比べりゃ、年を挟んでの気温の乱高下などあまりあり難くない。まして年明けの森で雨なんて見たくない。
冬の森はやっぱり白く輝いてほしい、冷たく尖んがった空気に顔を晒して颯爽と歩きたい。(実をいえばハーハー息を切らすが)
歩くだけでいい、立ち止まるだけでいい、振り返るだけでいい、空気をいっぱい吸い込むだけでいい、色に形に光に触れるだけでいい、・・・きっと五感に届くものがある。
それは天然の生気がいっぱい詰まった“森の贈り物”。
クマの背中
この山麓に棲むクマはオレの姿も匂いも知っている。仲間とは思わないまでも敵だとは思っていない・・・筈。
「雪を掻き分けこんな小さなブナの実を漁る気分ってどんなんだ?」(余計なお世話だが)大変だよな、と思いながら一粒拾い上げた。
と、縄張りを荒らす敵となった途端の襲撃!
良くも悪くも“さすらいのクマ”だと地元のクマに認められた?(だとしたら、こりゃ心中複雑)
クマの一言「こんなサービス、二度とあるなんて思わないでよ!出たくて出てるわけじゃないんだから。」
―身重?にもかかわらず励ましの出没、ほんとうにありがとう―
森には森の“仕合せ時間”が常に流れているが、その時間の中にちょっとばかり招待されてしまったようだ。
・・・クマは豊作を見越して子づくりに励む、身重であれば尚更に人の想像も道理も超え“命(まこと)”のままに生きる。本能のままに向き合ってしまったこのピュアーな時間に乾杯!
森 語 り ・5
水音が聞こえてきた。同じ升沢の桑沼山中からやってくる湧水の滝音だ。割山大滝という、滝つぼのない岩盤を咬み落ちる滑滝だ。(今年、某テレビ局が天気予報の背景に使った美しい場所!)
今、豪快に跳ね散る滴が氷のオブジェを造り、観客のいない森の中で閑かに華を競っている。水辺のありとあらゆるものが閉じ込められた氷の造形。デカイの小さいの、形を留めたもの、色を留めたもの、それぞれに豪放なヤツから繊細なヤツまで、・・・まるで人間の心模様を写しこむ。この凍てついた“微笑み”は春を前に姿を消す。
(この滝は厳冬の中でも氷結しないのかも知れない。ふた昔も前に滝の銚子口の左右から氷柱状にせり出した巨大オブジェを見て以来、未だそれ以上のものを見ていない。)
四方にブナの原生林が広がり、枯れ葉を落とした樹幹から冬の温々しい陽光が透け落ちている。
クマ騒動の後日。ここも見渡す限りの大きな食卓になっていた。
この時期、森に入る人など居ないと思いきや珍しく四人連れの女性が後からやってきた。「クマの足跡が…」なんて言いながら、先行する人の足跡に気を強くしたのか、異様な地面に気を掛けるでもなく楽しく平和にやってきた。
「いまあんた達はクマの食卓の上に“土足”で立ってますよ」何年か振りのブナの豊作を話しながら告げた。
この滝の源流は?
好奇心と想像力に長けた青年(オレ)はほっとく訳がなかった。ずっと昔、半ヤブを漕ぎながら小一時間の後源頭に辿り着いた。
水の旅にはロマンがある!ほんの一時間でも未知の水と一緒に旅をするのは愉しくてしょうがない。オレは本を全然読まないけど水の径にはいつも一冊分の物語が詰まっている。(薄いか厚いか?は別)
そこは苔むした根っこが一面を支配し凸凹していた。緑の地表の数ヶ所から清水がコンコンと湧き出る神秘的な場所だった。
源頭部の下手に一風変わった風景をみる。それまでの細流が一気に幅を広げ、大きな岩盤が浅い水底を覆っている。増水を知らない湧水の古沢らしく時代を遡る苔が一面に広がる。
年に何度か皆さんを案内するのだが、どれほどロマンを愉しんでいるのかは全く別です。