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2011年6月
森にある“愛と仕合せ”この雑記帳の中で何度も繰り返した文句だけど、今、頭ん中でその思いが渦巻いている。
私事ですが(もとより)いま自分に出来ること、背伸びせず身の丈で出来ることはなんだろう?なんてふっと思いながら森を歩いていると、天井をそよぐ風の子が教えてくれた。
ブナの森の仕合せ便
「被災地の子供達をブナの森に招待しよう!」
ほんの僅かの時間でも森の空気と緑の風景の中で思いっきり身体を投げ出し“今日一日を無邪気に遊ぶ”そんな時間を提供しよう、なんてことを決めた。
こんな時、森はほっとかないんだね。「子供達のために取って置きのいい時間を見せてあげよう」・・・そう森がささやいたのだ。
で、早速と思ったらバスは只じゃないんだね!
清貧をよしとするオレゆえ「森の時間」を接点に何とか皆さんを巻き込んでチリ(カンパ)を積もうと考えた・・・ところがなかなか(小)山にするのが一苦労!一人一人の気持ちを積み上げるってのはホント簡単じゃないのだね。
一つの財布でバスを走らせるのは簡単だけど、出来るだけ多くの気持ちで走らせるってのはホント大変!(ネックは私製ポストカードに付けたカンパだ。作るも大変、売るも大変!)
みんなの気持ちでバスが走る・・・なんてことにシビレてるオレもオレだが、これ結構辛い。・・・身の丈の筈だったのに!
しかして、この夏いよいよ第一便を走らせようと思う。
森 語 り・2
もう6月から7月、若葉を越えて青葉繁る季節だ。
一枚岩の下方斜面に大きなオヒョウの木が踏ん張っている。直径1,5mの岩を抱いたオヒョウ、巻きついた太く逞しい根っこはまるで擬態のように岩肌に同化している。丸い地球をしっかり抱え込んだかのようなこの姿に森の覚悟と宇宙的な愛を感じてしまう。
ここからほんの少し下るとトチノキの大木が林立するくぼ地だ。ここのトチノキは大分年を稼いでいて、太い幹から直にヒコバエ様の小枝がいっぱい出ている。その小枝ごとに立派な大葉を付ける姿は如何にもカッコウがいい!梅雨から夏、靄などに包まれたらこれがウットリするほど美しく変貌する。
そうそう、ちょっと前まで散り落ちて艶めかしい小花がいっぱいだった。うっすらと紅を差した花びらと、白く長くはみ出たしなやかなシベ。2センチの悩ましさが掌で踊る。
このトチノキ、木肌が波形の文様で分かり易い(百に満たない子供は凪肌!)。ここ何年も見ていないが昔Sサイズの鶏卵ほどの大きな実(中身)を付けていた。こんなのが脳天に落ちたらきっと昇天だな。
・・・「落ちた」で思い出したけど、一昔前この樹の根っこで写真を撮っていた。悩みながら撮るのが昔のオレ流なので、小一時間じっと根っこと対峙していた。
と、背後でドスン!鶏卵どころじゃない、真っ黒い大きな物体が落ちた。ブナの樹上でシビレ?を切らしたクマだった。
この付近、踏み跡を外れて藪を漕ぐ。藪ゆえこの時期には滅多に入らぬ処にブナの巨樹がそびえる。この界隈で一番でかいブナだ。
樹齢約500年?数字じゃ分からない何が見事かって、ずん胴のまま真っ直ぐ突っ立っているのですよ!4本のドラム缶を束ねて何段も積み上げた格好だ。(オレは此処升沢しか知らないから、きっと日本一だわい!) その存在感が醸す神々しさは正しく母のブナだ。
このブナに両手を広げ頬擦りし至上の安堵を貰う。一応オレも人間なのでヘタな思い、不満足をいっぱい抱える。けれどコイツは純粋にオレをバカにしてくれる、・・・それがいい。
無数に付いたクマの爪痕はここまで森を活かしたブナの勲章だ。傷は成長に合わせて大きく痕を残すのだが、自らの治癒力で皮膚を再生し地衣をまとい如何にも誇らしく突っ立つ。
大豊作の年、盛りのブナは約3万個の実を落とすという。この母ブナは過去数百年、森に棲む生き物の食料を満たした。(豊かな実りは子づくりを促す、森のバランスの根源だ。)
実り不作の年は丸々とした幾十万の葉っぱを繁らせ昆虫やら微生物の活動を促す。このブナは永く森が森である為の土壌と生命を繋いできたのだ。・・・そしてこの先も。
遠い太古の息づかいがこの森のこの地に流れている、人間の所作とは別のところでブナは森を繋いできた。