2012年8月

   今年はブナの大木老木がいっぱい倒れて森の天井があちこちポッカリと空いている。通い始めて20年余り、こんな森ちょっと記憶にない。
   5,6年前、あと50年(だったか)もすると日本の森からブナが消えるなんて事を新聞のかこみ記事で見た。(そんなバカな、と思いながらこのエライ先生の根拠がなんだったのかあまり覚えていない。)
   もちろん大木が次々と倒れて全滅!…なんて事ではないだろうが、ここ数ヶ月だけで破壊的な雨風がピンポイントでこの森を襲っている。
   こんなペースで天井が空くと壮年のブナが林立するまで数百年の間隙間だらけのブナ林になる。この先毎年ブナの大木が次々倒れて見なさい。(…あれっ、ひょっとしてオレの生きてる間にブナの大木消滅!?)

   エライ先生の科学的根拠にせよ、オレの雑然的推測にせよ(いずれ温暖化に起因するのだから)間違いなく言えるのは強欲人間の仕業です。
   昔々の急造植林によるブナ林皆伐が今度は(豊かさの大義)文明を引き換えにブナの森が滅びるかも知れない。「宇宙(開発)なんてどうでもいいからさ、オレが抱きつくでっかいブナ一本ぐらいは残してよ!」

 星と蛍と10W 

   某日朝、雨がザーザー降っていた。なのにみんなワイパーをフル稼働させやってきた。(マア勘ぐれば憂うつな始まりだったに違いない)
   なによりオレの前フリが「不便不自由の一泊!」だ。みんなこんな事でメゲちゃいけないことぐらい百も承知なのです。

   そんな雨も昼前に上がり、しっとり濡れた木立の中を徘徊しながら今宵の野営地を決めた。小さな火を熾し僅かの酒を酌み交わし、粗食を肴にこの森の暮れなずむ空気をじっくり味わった…。(よね、皆さん)

   「なんとまあ手間暇の掛かる」なんて言えないのです。この日、こんなにいっぱいの人達が森にいる!みんな森の夜を過ごすために来た。
   一人の時はぐうたらにシンプルに夜を迎えるのだが、今宵は人数分の気遣いをしなきゃなんない。(…が、森への個人的恋慕で殆ど上の空!)

   星の降る中で森蛍の小さな光が目の前を通り過ぎた…。今、五感に包まれている。森と一緒に身丈分の仕合せに包まれている。

   火を囲むみんなの赤ら顔、「森のお返し」に上気しているのか酒に酔っているのか、いずれ仕合せ顔には違いない。背後で三つ目が光ろうが怪しいうめき声がしようが多分皆さんお構いなし…です!?

   なん時か、それぞれがテント5張りにもぐり込むと徐々に湿った空気が森を覆った。暫し「やっぱり外がいいや」一人抜け出し静かな闇夜に寝転んだ。天井を見れば茂った葉っぱの隙間からこぼれ落ちそうな星一つ…。(こんな仕合せ、皆さんには申し訳ないが一人で頂きました)

   傍らの残り火に目をやればせいぜい昔の裸電球10Wぐらいか、揺らぐ灯りを頼りに一枚布の間から暗闇に目を凝らした。近い灯りのせいで以外全く真っ暗で何も見えない。(オレ…ひょっとしたら既に眠りの中!?)

   翌朝、こんな美しい森を見たのは久しぶりだ。
ブナ林に朝の光が差し込み、生まれたばかりの眩しい光がそよいでいる。清んだ空気に朝の冷気が映り、いかにもニンフが現れそう!…いやいやここは西洋じゃない、やっぱり木霊「森の贈り物」にしよう。

 子ども達の森の時間 

   8月4日、今年も皆さんのカンパのお陰で子ども達をブナの森に招待できました。

   子ども達、いつもの海風とは違う森の空気を腹いっぱい吸った。
「…ちょっとちがうよ!」 そりゃ味も匂いもちがうさ!いっぱいある木のようすも葉っぱの色もちがう!歩く土のやわらかさなんてホントびっくりだ。
   子ども達三人が幹に手を回しやっと届いた三百年ブナ。森の中では頭の先からつま先まで身体全部を使う、日ごろ休みっぱなしの感覚も全部使う。だから言葉には出なくてもぜったい身体がよろこんでいる。

   森に馴染んでない大人は錆びた感覚を戻すにちょっと時間が掛かるけれど子どもは違う。「歩くのめんどう」といいながら…「暑いあつい」といいながら…ちゃんと身体と心のキャパがしっかり受け付ける。ここで見せた笑顔はみんなの武器だからね、いつでもどこでも自慢していい。

 

集合写真

 

   どんな森も草木の一つ一つがその森をず〜っとつないでいる。昨日の姿が消えても、おかげで今日の草木がある。人の世もきっとそうだ。